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短報・コラム:日本酪農発祥之地「嶺岡牧」の今日的意義(前編)


1.日本酪農発祥之地「嶺岡牧」

 日本の酪農がどこで始まったかを知る人は、あまり多くない。筆者の経験上、北海道や岩手県と答える人がほとんどであり、それがじつは千葉県なのだよと教えると誰もが驚く。

日本酪農発祥之地の記念碑

日本酪農発祥之地の記念碑

 千葉県南房総市・鴨川市にまたがる「嶺岡牧」が「日本酪農発祥之地」として千葉県指定史跡に登録されており、その記念碑が千葉県畜産総合研究センター嶺岡乳牛研究所のエントランスに建っている。揮毫は、旧曽呂村(現鴨川市)出身で大蔵大臣を五回務めた水田三喜男のものである。近くには、文化庁登録有形文化財に指定された萱葺屋根の水田の生家があり、長屋門には牛小屋が置かれていて、嶺岡牧時代の酪農の営みを物語っている。

掛け軸と乳牛の像

掛け軸と乳牛の像

 平安時代にまとめられた法典『延喜式』には、安房国に官営の馬牧があったことが記されており、それが嶺岡牧の前身であると考えられている。戦国時代になると、安房国を支配した里見氏が軍馬を養成することを目的として牧を開拓した。安房国とは、後に滝沢馬琴が著した『南総里見八犬伝』の主たる舞台のことである。1614(慶長19)年に里見氏が取り潰された後、嶺岡牧は徳川幕府の管理下におかれたが、五代将軍徳川綱吉が推進した「生類憐れみの令」の影響などもあり、次第に衰退していった。

 そうしたなか、1716(享保元)年徳川吉宗が八代将軍に就くと、いわゆる「享保の改革」の一環として、嶺岡牧の再興に取りかかった。1721(享保6)年11月には幕府の命により、野馬奉行綿貫夏右衛門が配下の牧士(もくし)らの協力を得て、嶺岡山の調査を進めた。牛馬の管理者であった牧士は上層農民の出身であり、苗字帯刀を許され、幕府から扶持米や給金が支給されていた。12月に提出された調査報告書には、第一に馬の餌となる牧草が豊富であること、第二に水飲み場が山内に数十か所あること、第三に馬が夏は高所に冬は窪地に移動して暑さや寒さを防ぐことができるとの内容が記された(注1)。この報告にもとづいて、翌年には嶺岡牧が再興された。


白牛酪考・表紙

白牛酪考・表紙

2.白牛酪から練乳まで

 1728(享保13)年、吉宗は嶺岡牧に白牛3頭を導入した。この白牛の由来についてはインドから輸入された説、オランダから輸入された説、オランダ商人より将軍家へ献上された説など諸説あるが、その吟味は別稿に譲る(注2)。嶺岡牧では、この白牛の数を増やすとともに、搾った乳で「白牛酪」という薬餌を作らせ献上させた。1792(寛政4)年には白牛が70頭にまで増殖し、白牛酪の量も増加した。同年に十一代将軍徳川家斉は幕医桃井寅に命じ、白牛酪の効能を広く庶民に周知させるために『白牛酪考』を刊行させた。

 白牛酪は、白牛の乳に砂糖を入れてゆっくりと煮詰めて石鹸くらいの固さにしたものであり、疲労回復、解熱などの良薬とされた。1796(寛政8)年には、日本橋「玉屋」から白牛酪が売り出された。このような特色ある白牛酪の内実には、嶺岡牧の豊穣な歴史文化が幾重にもなって織り込まれている。馬と白牛の嶺岡牧は、明治維新の後、明治政府の管轄となった。

白牛酪考・序文

白牛酪考・序文

 日本の酪農乳業史を振り返ると、その近代化の端緒をなすのは、練乳製造業の創業期である。日本の練乳製造業の発生史的基盤は、安房地域にある。江戸時代に安房地域の嶺岡牧で白牛酪が製造され、明治維新後にも同じ安房地域において練乳製造業が創業されたことについては歴史地理学的な蓋然性があるといっても過言ではない。

 日本の練乳製造業の端緒は、1893(明治26)年に根岸新三郎が創業した安房練乳所である。その後、多くの練乳製造業が乱立しては興亡を繰り返した。明治・大正期には、磯貝練乳所や玉井練乳所など小資本経営による35社の練乳製造業が安房地域において創業した。これらの中小企業のなかから磯貝練乳所、玉井練乳所、平群製酪所、滝田製酪所が合併し、1916(大正3)年には房総練乳(株)が設立された。

 この房総練乳(株)は現在の(株)明治(旧明治製菓(株)・明治乳業(株))、また愛国練乳合資会社・日本練乳(株)は現在の森永製菓(株)・森永乳業(株)の源流をそれぞれなすものである。しかも愛国練乳合資会社と房総練乳(株)は原料乳をめぐって激しい競争関係にあり、そうした経営環境にあって、安房地域の中小練乳企業は房総練乳(株)等の傘下に統合されていった(注3)。すなわち安房地域は、明治・森永との二大乳業メーカーの起業地であり、日本の酪農乳業の近代化・規模拡大を支えた重要な地域であると言うことができる。


3.嶺岡牧の活用方策

 以上のように、嶺岡牧はまさに日本酪農発祥之地であり、文化史的にも、経営史的にも大きな特色を有する産業遺跡であると言える。しかしながら、そうした特色があるにもかかわらず、これまで嶺岡牧についてはあまり注目されてこなかった。というか、地元の行政や観光業界は嶺岡牧を地域個性の一つとして捉えず、地域政策のなかに嶺岡牧の活用方策を十分には位置づけてこなかった。これは大変もったいない話である。

 安房地域は観光庁が「南房総地域観光圏」と呼称する関東でも有数の観光圏である(注4)。そのなかに嶺岡牧をどのように位置づけ、どのように活用していくかとの「嶺岡牧再考」は、安房地域の活性化に向けて重要になっていると考える。地域活性化のみならず、安房酪農の見直し、ひいては日本酪農の見直しの契機にもなり得る嶺岡牧再考によって「嶺岡牧再興」が実現することも遠い将来のことではなさそうだ。そのような期待は、以下で紹介するような野心的な取り組みによって生まれる。

後編に続く>


<注>

(1)鴨川市史編さん委員会編『鴨川市史読本編 鴨川のあゆみ』鴨川市、1998年、p.119。
(2)嶺岡牧の歴史的展開については、安房郡畜産農業協同組合・千葉県共編『安房酪農百年史』安房郡畜産農業協同組合、1961年、pp.4~14、22~33、嶺岡白牛酪については同書pp.15~21を参照。
(3)安房地域の練乳製造業については、森永乳業50年史編纂委員会編『森永乳業五十年史』森永乳業株式会社、1967年、明治乳業社史編集委員会編『明治乳業50年史』明治乳業株式会社、1969年を参照。
(4)南房総地域観光圏については、館山市・鴨川市・南房総市・鋸南町『南房総地域観光圏整備計画(PDF)』2008年8月などを参照。


付記:現地調査に際しては、農学生命科学研究支援機構「調査に対する活動経費の助成」より支援を受けました。記して感謝申し上げます。

 (研究員・佐藤奨平)